「隠れ取り締まりで交通安全は実現しない」

警察正常化協議会 (警正協 けいせいきょう 

KSK  131

世間では「春の交通安全運動」とやらで 問題意識を持たない国民が警察に踊らされている真っ最中に やはり警察の「隠れ取り締まりでは交通安全は実現しない」と痛感している勇気ある識者から以下のとおり「交通トラバサミを放置・悪用する群馬県警」と題する御意見が届きました。

全く同感なので 広く全国民伝達したく 以下のとおり紹介します。

どうぞお読みください。



 


交通トラバサミを放置・悪用する群馬県警

 

 道路標識の設置方法が交通実態にそぐわなかったため、通行者が意図せず道路交通法違反が多発する場所がある。

当然、どこがそうした場所であるか管轄する警察署は掌握している。こうした場所は警察内部では「ドル箱」という隠語で呼び、交通違反切符検挙ノルマを稼ぐ場所として悪用している。

民主主義社会であるなら、所轄の警察署は公安委員会と協議して、交通実態や人間工学に照らして合理的な仕組みに、速やかに改善しなくてはならない。しかるに、群馬県警はその不適切箇所をトラバサミのように悪用して、交通違反検挙ノルマ稼ぎの罠として悪用している。

これは邪推・憶測ではなく、過去に明白な例がある。前橋・敷島公園近傍に設置されていた不合理な一時停止標識を悪用して、前橋警察署が交通違反検挙件数稼ぎを行っていた。その事実を、朝日新聞が記事にしたので、群馬県公安委員会は、急遽この標識を撤去した。こうした前例があるにもかかわらず、群馬県警・富岡警察署は、所轄管内で「交通トラバサミ」による取り締まりを行っている。

道路交通法は身近にある法律の一つである。しかし、一時停止違反や10Km程度の速度超過違反など軽微な違反で捕まったとき、多くの人が「あーあ、運が悪かった」と思うようだ。つまり道路交通法は暮らしの安全を守る法律という定義に「?」(クエスチョン・疑問)をつけている国民少なくないのである。

その原因の一つが、不合理に設置された交通標識、つまり「交通トラバサミ」である。その不合理性故に違反が多発する。そこに待ち伏せをしていれば、交通違反検挙件数が稼げるのだ。交通違反摘発にノルマを課すること自身が問題なのだが、その数字合わせに利用するのが「交通トラバサミ」なのだ。

 

待ち伏せして取り締まりを行う警察官に「事故防止活動」というミッションはない。考えているのは「交通違反検挙件数を稼ぐ」というノルマだけなのだ。むろん倫理観などない。

とうぜん問題箇所の近くの住民はそのことをよく知っている。「警察なんてそんなもの」という意識が住民のなかにジワーと広がる。

結果道路交通法は生活を守る法律という信頼を失っていく。

今回問題にしている「一時停止」標識の設置方法は違法ではない。しかし、この「一時停止」標識が交通実態や人間工学に合致しているのか、といえば不適切なのである。

まして「交通トラバサミ」として運用するのは、倫理的に問題なのである。富岡警察署は「よく獲物の掛かる罠」だということを知っているからこそ、頻繁に同地点待ち伏せをして、「違反者」を検挙しているのである。

私が提案するように、一時停止標識設置位置を軽微な費用で変更するだけで問題は解決する。にもかかわらず行わない理由は一つだけである。「獲物がよく掛かるおいしい罠がなくなる」からだ。おまけにこの道路は観光道路でもあり、違反者の多くは県外者で、あまり文句を言わずに反則金を払うから、その点でも警察にとっておいしいのである。

法律は為政者と国民相互が納得できるかどうか検討して、設置運用するものでなくてはならない。ところが日本では、この大原則が教育されていない。今回強行採決した「秘密保護法」もしかりである。法律は、憲法に照らした法体系としての合理性と同時に、倫理規定にも照らて議論しなければならないのだ。もっとも日本の国会議員に倫理観を求めるのが、ない物ねだりなのかもしれないが・・・。

ドイツで原発建設の検討に、技術的問題と同時に、倫理的にも検討して、原発建設廃止を決めた。

一度事故を起こすと、不可逆的に地球を汚染する原発を人類は建設してよいのかどうかを、技術とは別の専門機関が検討したのである。

道路標識1本にもその社会の民度が表れる。

以上のとおりです。

投稿いただいた方には厚く御礼申し上げますとともに お読みいただいた皆様にも感謝申し上げます。


パトカーで隠れる取締り
(添付の写真は原稿と無関係です。別の場所で隠れるパトカーの写真です。)
 

<警察正常化協議会 代表 大河原宗平>