裁判官も検察官も弁護士も「欲と金」が目的の職務なのだ・・


警察正常化協議会 (警正協 けいせいきょう KSK  53



「裁判(裁判所)は正しい判断をしてくれるもの」と信じて、警察や検察、行政などを相手としたいくつかの裁判を、原告として闘ってみたが、その結果は、一応裁判で主張を言いつくしたような形を、時間をかけて作り上げてもらったものの、判決では裁判所に全く相手にされず、すべて敗訴されてしまった。

 

その原因を私なりに探ってみると、見えてくるのは「法曹界」だか「司法界」だかと言われる「専門職にある連中」は、「同じ穴の貉」であるということに気付いた。要するに私の言葉で言えば「法廷ビジネス」として生活のための稼ぎ場が「裁判所という建物」なのであった。

 

同じ司法試験を通って、その後、職に就く(職に割り振られる?)「裁判官・検察官・弁護士」、そして、それらを味方につけて職の正当化を作り上げていく「警察や官庁公務員」共。

 

警察や検察の不正を、裁判で争っても 所詮その相手方(被告)は、「都道府県知事」や「法務大臣」となってくる仕組みだ。

 

ドラマやニュース等から見て取れる、裁判所、検察官、弁護士の関係は、「それぞれ独立しており、五分五分の闘いをしてくれるもの」と刷り込まれているが、その実態は、実は「なれ合いの関係にある」ことが よ~く見えてしまった。

 

裁判をしてみて、要するに、「裁判所も検察官も弁護士も警察その他の公務員も腐りきっている」という強い感情を覚えてしまったのである。

 

そんな中で、この程 国賠ネットワークの「2016・1・16日付けNO.157号」紙面に感動の記事が「投稿」として掲載されていた。

投稿者は「森田義男さん」である。

森田義男著 裁判所の大堕落
 

森田義男さんと言えば「裁判所の大堕落」という有名な本の著者で、私も大変お世話になっている方である。

 

森田さんに、お許しをいただいていませんが、この投稿を転記させてもらって私のブログにお立ち寄りのみなさんに紹介したいと思います。

 

以下が投稿文です。

 

表題は 「裁判所の退廃と日弁連の欺瞞」

 

本文は「安保法制反対の11月19日の約1万人の国会前大集会で、日弁連が国に対して訴訟を起こすと宣言していた。「我々日弁連が、法律家として安保法制の違法性・違憲性を全面的に裁判で争う」という格好いいもの。

その上で参加者に対して、裁判傍聴その他の支援を要請していた。

 

この演説内容は一見すると当然の話といえそうである。

しかし裁判・裁判所の実態を多少なりとも知る者としては、これを聞いてかなりいやな気持ちになった。

 

その理由の第一は、

安保法制のような国の根本として政権が選択した政策については、最高裁は絶対に否定しないということ。なにせ政権に逆らえば最高裁長官の人事等で逆襲され、裁判所の組織はガタガタにされてしまう。

 

だから最高裁は理屈抜きに政権ベッタリ。こんな裁判は勝てるはずがないのだ。裁判所は腐りきっているのである。

 

第二には、

弁護士はこの実態を熟知していながら、「勝つ可能性は十分ある」という幻想を人々に振りまいているということ。そしてあくまで弁護士会は「正義の味方」という体裁をとり続けているのだ。

 

第三としては、

この勝訴を得るために最も可能性の高い現実的手法が、こうした裁判所の退廃を一般社会に知らしめることにあるということ。

 そもそも裁判所という役所は、他の省庁が持っているような権限・権力を持っていない。彼らの存立の基盤はやたら高いプライド。その一方で、(自身の社会的常識の欠如を気にしているのであろう)裁判所はやたら世論を気にしている。

一般社会は今まで、裁判所の公正さを盲目的に信じてきた。しかしその組織的退廃が世に知られそれらを強烈に批判されると、彼らのプライドがズタズタにされてしまう。だから「そこまで言われるなら、信頼回復のためにも真っ当な判決を出そうか」。こう考えてくれる可能性があるように思えるのである。

 

だから第四として、

登壇した弁護士は大集会の参加者に「裁判所の退廃の実態」を訴えるべきだったということ。

なにせ参加者は約1万人。彼らがこの「驚愕な実態」を知れば、それがかなりのスピードで社会に広まっていく。となると今まで司法批判を一切しなかったマスコミも、これを報道せざるを得なくなるはずだ。

 

そして第五が、

 弁護士が「裁判所の退廃の実態」を話そうとしない点にある。「あくまで司法は神聖であり、その場で活躍する弁護士も高潔な存在」、という格好にしておきたいのであろう。弁護士は「裁判所の退廃の実態」を話そうとしないのである。

 

実は、弁護士会には二つの顔がある。一つは「正義の味方」としての顔。もう一つは弁護士業界の利益を追求すべき職能団体としての顔である。

むろん弁護士会には後者(利益)がはるかに重要である。この双方が対立すれば断然後者を優先する。

 

その典型が、今日成立しそうな刑事訴訟法の改正問題である。これは盗聴の飛躍的拡大や冤罪が多発するであろう司法取引を容認するという恐ろしい法案。なんとこの改定に、役所側から活動領域の拡大を認める等の鼻薬を嗅がされた日弁連が賛成に回っているのである。

 

日弁連が改正に賛成すれば、改正問題は「勝負あった」となる。結局日弁連は、自身の利益のために社会正義・市民の利益を捜査機関に売り渡したのである。

 

どう考えてもこの安保法制は戦後日本の最大(しかもダントツ)の危機である。今年の参院選が今ひとつ期待できそうにない以上、裁判が最後の砦になるだろう。にもかかわらず、このまま行けばこの裁判は間違いなく負ける。これを勝つには、裁判所の退廃を突く強い世論の勃興しかないと確信する。

これさえあれば裁判官も意地を見せる可能性が出てくると信じたい。

 

なにせ元最高裁長官や大半の憲法学者が「違憲」を明言しているのだ。

しかし弁護士(会)は、勝てる可能性のあるこの唯一の方法を放棄している。そして祈るような気持ちでこれを見守る多くの市民を完全に裏切る形で、勝てるはずのない裁判をやるという。これは政権側からみれば、反対運動のかっこうのガス抜き的存在にもなりかねない。

集会での弁護士の発言を聞いていやな気持になった理由を追求してみたら、このような結論になったしだいである。」

 

というものです。

 

森田さんは、安保法制反対に関連した11月19日の国会前の大集会に参加して、この「投稿」を寄せたようであるが、私はここに参加していないので、

森田さんが言っている視点と少しは異なりますが、「裁判官・裁判所と弁護士・日弁連」との関係で「弁護士業界の利益を追求すべき職能団体としての顔」を強烈に指摘していることに共感する。

 

最近のテレビで、やたらと目に付くのが「弁護士事務所のコマーシャル」である。「テレショップのコマーシャルではないか?」と思えるほどである。

「恥も外聞もない」とはこのことだ。

これでは、弁護士の「正義の味方としての顔」は消えてしまう。

 

結局は、裁判官も検察官も弁護士も「欲と金のために生きている生物である」という結論に達するのである。